平成最後の日

思考流星群

流星のように光っては消える考えやアイデア、出来事などをブログに書き綴ってみようという試み

平成最後の日

2019年04月30日 19時17分

[雑記]

男性
もしかしなくても、ミホくんは平成生まれだよね?
女性
Yes, of course!
男性
そっかぁ、じゃあミホくんにとって平成はどんな時代だった?
女性
ん~、災害は多かったけど基本的に平和でいい時代だったんじゃないでしょうか。

本日2019年4月30日は平成最後の日です。

テレビの該当インタビューなどで色々な人が平成は良い時代だったと言っているのを聞きました。

一応僕の個人的な平成の感想などを書き残しておこうかと思います。
 

昭和のツケが回ってきた時代

僕にとって平成は、それほど素晴らしい時代だったとは思えないのが正直なところです。
戦争がなかったことは素晴らしいことだし、戦争がなかった時代というだけで「幸せな時代」と言っても良いのかもしれませんが、諸手を上げて「素晴らしい時代だった」というのはどうでしょう。

昭和前半は戦争があって、しかもそれに敗れ、多くの国民が命を落とし、ほとんどの大都市が焼け野原になりましたが、国民が力を合わせて復興に努めたこともあり、昭和中盤以降は基本的に好景気に沸く活気のある時代だったと思います。

しかし昭和終盤ではそれまでの好景気の続きのように見えて実は実体のない好景気になっていて、本来政府主導で徐々に経済に対してブレーキをかけるべきタイミングになってもアクセルべた踏み状態で突っ走ってしまい、結果かなり激しい経済的ダメージが発生することになります。いわゆるバブル崩壊です。

平成の経済はこのバブル崩壊の影響を引きずり続けたと思います。
また、本格的に格差が広がった時代でもあったと思います。

ですので、この格差の「好景気」の立ち位置にいた人と、「不景気」の立ち位置にいた人では、平成の景気の良さに対する感想が180度違うかもしれません。

安倍内閣が常々言っている「戦後最長の好景気」はこの格差社会の上流側のポジションから見た発言です。
また、根拠となる指標も上流側にとって重要な指標であり、下流側の「この指標がこうなっているから悲惨」という点ではあまり論じられていない感があり、政治は「上流側をよりよくし、下流側は文句を言われない程度に対処する」というスタンスですので、それがまた格差の増大につながっているような気がします。

基本的に「金を持っている人がより金を稼ぎやすく、金を持っていない人はより貧しくなりやすい」という環境になっていて、この流れは令和にも引き継がれると思われます。
 

多くの災害に見舞われた

また、平成は大きな災害が多い時代でした。
阪神淡路大震災と東日本大震災、熊本地震、など大きな地震が多く、特に東日本大震災は巨大津波の被害も甚大で未曽有の被害となりました。
大雨や台風による水害も酷かったですね。

気候変動に伴い、冬には恐ろしいほどの寒波がやってきたり、夏はかつてのインドくらいの暑さに襲われたり、局地的な大雨(ゲリラ豪雨)が頻発したりと、異常気象ともいえるような状態が多々見られました。

地球レベルでみたら、この程度の変動は大したことではないのかもしれませんが、人間にとっては結構きついものがあります。

「いつかは必ず起こる」と観測されている南海トラフ地震、海面温の上昇による台風の苛烈化、地球の温暖化による気候変動、令和になっても災害のリスクはすごく高く、より一層普段からの災害への備えが、社会的にも個人レベルでも求められます。

 

テロリズムの台頭

平成の日本でおこったテロといえばオウム真理教の松本サリン、地下鉄サリン事件が思い浮かびます。

世界に目を向けると、イスラム過激派によるテロが悪夢のように連鎖され、先日は治安のよかったスリランカで、大規模な同時多発テロが発生しました。

ソフトターゲットという意味では日本も他人事ではなく、特に2020年の東京オリンピックなどは世界的に注目されるイベントですので、要注意といえます。

ネット社会の到来

平成は携帯電話(いわゆるガラケー)が爆発的に普及して「個人がそれぞれに通信手段を持つ」という環境が当たり前になった時代でした。

それまでインターネットの利用は主にパソコンから行われていましたが、ガラケーの普及という下地を経て、スマホ(スマートフォン)へと昇華し、もはや「ネットを利用する」といえば一番にスマホ、タブレットなどの携帯端末から、というイメージにまでなっています。

ネットが普及することで生活は大変便利になりました。
通販はより活性化し、店で買うよりネットで買う、という人も増えました。
ビジネスにおいてもネットの普及で社会が一変したといってもいいくらいの変動が起こりました。
これまで存在していなかった企業が、世界的な巨人企業に成り上がり、古い体質の企業はどんどん淘汰されていっています。

また、スマホによるネットの普及は人付き合いのインタフェース部分を激変させました。
SNSによる出会い、連絡、告知。
個人が世間にむけて情報発信できる環境。
それゆえのアホな騒ぎ。(バイトテロ、バカッターなど)
ネットいじめ、リベンジポルノなどの起こりやすい環境。
ネット炎上によるフルボッコなバッシング。

ネットによるバッシングは、行っている人の1人1人は「自分1人が文句をいうくらい大したことない」「自分1人がイタ電かけるくらい大したことない」というように加害者意識は薄く、その軽いデコピンのような私刑が何十万、何百万と繰り返されることにより、対象者の人生を破壊するにいたるほどの重圧を生み出します。

平成はそんなネット社会の入り口となった時代でした。
そしてこれも令和へと引き継がれるのです。
 

最後に

こうやって書いていくと、平成は「戦争がなかった」という最高の下地の上に、「便利で楽しいけど、いいようのない不安がある」平穏な日常が続いた時代だったように思います。

むろん「平成サイコーッ」という人もいるでしょうし、「ニホン死ね!」的に恨みや諦めしかないよ、という人もいるでしょう。

いずれにせよ、平成から令和への移行は単なる儀式に過ぎず、相変わらず日常は続き、人間は生き続けなければなりません。

暗いこといっぱい書きましたが、ショゲていても仕方がなく、基本的には個人個人が明るく前向きに生きていくべきだろう、と思います。
 

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